東京高等裁判所 平成5年(う)1388号 判決 1994年8月05日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人栗山れい子、同井上章夫、同佐竹俊之連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官小川良三、同鈴木芳夫連名の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
第一 控訴趣意第一点(原判示罪となるべき事実第一に関する事実誤認の主張)について
所論は、要するに、原判決は、対立する二当事者の相反する供述の間で、被告人らの抗議行動を一つの根拠として被告人らの供述の信用性を否定し、第三者証人の証言のうちA弁護士(以下「A弁護士」という。)の証言に合致する部分のみを取り上げ、その矛盾する部分を無視して、A弁護士の証言全体の信用性を肯定し、被告人の同弁護士に対する原判示第一の威力業務妨害の事実を認定したが、被告人らの抗議行動が不当であるとの先入観に基づいた事実認定であつて、事実を誤認しており、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の証拠によれば、原判示罪となるべき事実第一の事実を優に認めることができ、原判決が(事実認定の補足説明)の第一で認定説示するところも正当として是認することができるから、原判示罪となるべき事実第一につき、原判決に事実誤認があるとは認められない。
すなわち、A弁護士は、原審証人として、被告人から体当たりをされて後ろによろめいたことをはじめとして、東京高等地方簡易裁判所合同庁舎七階中央廊下から七一五号法廷に向かう中廊下付近において、被告人を含む十数名の者に取り囲まれ、正面から体当たりされたり、背後から服やベルト、腕を引つ張られたりして、法廷への出頭を妨げられたことを具体的かつ詳細に証言し、同弁護士と同道したBも、A弁護士の証言と合致する証言をしているところ、いずれも自己の体験した事実に関する自然かつ具体的詳細なものである上、重要部分において相互に合致し矛盾するところがないこと、A弁護士らの右証言は、当日情状証人としてA弁護士と同道したCことD、入廷を巡つてトラブルが発生しているとの連絡を受けて現場に駆け付けた東京高等裁判所刑事訟廷管理官(当時)E、同裁判所事務官Fら中立的証人の各証言ともよく符合し裏付けられているのであつて、その信用性は高いと認められる。なるほど、Dの証言中には、被告人らの仲間が紙のようなものをA弁護士に手渡そうとしていた旨、あるいは、脅迫とかはなかつたし、危険も感じなかつた旨の証言があり、また、Eの証言中にも、一五、六人の人の塊のところをA弁護士が押しのけるようにして法廷のある中廊下へ行こうとし、満員電車に無理に乗り込むというような感じだつた、小突き合いとかの印象は残つていない旨の証言があり、いずれもA弁護士が証言し原判決が認定するような被告人らの積極的加害行為とは矛盾するかのような証言部分がある。しかし、D証人が、脅迫とかはなく危険も感じなかつたというのは、それが同証人自身の関係でいうものであることはその証言自体から明らかであり、他方、同証人は、被告人らの仲間がA弁護士の背広を引つ張つて前に行かせないようにした旨、被告人らの積極的な暴行の事実を証言しているほか、何人かで肩をくつつけて立ちはだかりA弁護士は前へ進めなくなつたと述べ、また、E証人も、A弁護士がなんとか入廷しようと前へ進もうとしているのに大勢の人がいてほとんど一歩も出ることができない状況を前記のように証言したと述べ、いずれも、全体としては被告人らの実力によつて入廷が妨げられたことを明確に証言していること、さらに、F証人も、A弁護士がつかまれた背広の右袖を振り払う動作をした旨述べ、一部ではあるが被告人らの積極的な暴行の事実を証言していること、もともと、裁判所の職員であるE及びFはトラブルが発生しているとの連絡を受けてその場に赴いたもので、事件の一部始終を目撃していたわけではなく、しかも、同人らが到着した時は、中央廊下から七一五号法廷に向かう中廊下付近で、既にA弁護士が大勢の者に取り囲まれた状況にあつたのであり、A弁護士及びBの各証言によれば、A弁護士が、被告人らから体当たりをされたり、腕やベルトをつかんで引つ張られたり、組みつかれたりの暴行を受けたのは、裁判所の職員が到着する前の出来事であつたと認められるから、Eらの証言に右暴行の事実の供述がなくても何ら不自然ではないというべきである。これに対し、被告人は、原審公判廷で、A弁護士の出廷を実力で阻止したことはなく、A弁護士は行こうとすれば法廷に入れたはずであり、それをしなかつたのは、A弁護士が支援の人たちに自分から詰め寄つていつたからであると供述し、A法律事務所労働争議団の一員で当日被告人とともに現場にいたGも、被告人の右供述に沿う証言をするが、被告人らの右供述は、中立的証人を含むその他の証人が、A弁護士が十数人の者に取り囲まれた状況を明確に証言しているのに、それすら否定していること、原判決が認定説示するように、遅れて着いた情状証人とともに法廷に急いでいたA弁護士が、通り抜けるだけの隙間があり法廷に行けるのに、殊更そうしなかつたというのは不自然で考えにくいこと、一旦出頭する法廷とは反対側の中廊下に避難した後、警備員に守られてようやく目的の法廷に入ることができたという状況であつたことからしても、被告人の原審供述及びG証言は信用性に乏しいというべきである。
以上のとおり、原判示罪となるべき事実第一に関するA弁護士及びBの原審各証言は、D、E及びFの中立的証人の各証言によつて裏付けられており、十分信用することができるものであると認められ、これらの証言等により、原判示罪となるべき事実第一の事実を認定した原判決に、被告人らの抗議行動が不当であるとの先入観に基づいた事実認定であるとの非難は当たらず、事実の誤認はないと認められる。所論は採用することができない。
論旨は理由がない。
第二 控訴趣意第二点(原判示罪となるべき事実第二に関する事実誤認の主張)について
所論は、要するに、原判決は、裁判所における被告人らの団体交渉要求を忌み嫌い、先入観に基づき、第三者証人の証言を恣意的に歪め、A弁護士がボディガードを自らに密着させて被告人らの団体交渉要求を実力ではねのけ拒否するという姿勢であつたことに目を背け、信用できないA弁護士の証言を鵜呑みにし、団体交渉要求すなわち威力業務妨害であると認定したもので、事実を誤認しており、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の証拠によれば、原判示罪となるべき事実第二の事実を優に認めることができ、原判決が(事実認定の補足説明)の第二で認定説示するところも正当として是認することができるから、原判示罪となるべき事実第二につき、原判決に事実誤認があるとは認められない。
すなわち、A弁護士の原審証言は、東京地方裁判所八王子支部庁舎一階ホールで、被告人から体当たりされ、背後の者から腕をつかまれ袖を引つ張られたりし、被告人から「この野郎。」「でかい面するな。」などと言われた上、被告人を含む大勢の者に取り囲まれ、エレベーターに乗ろうとして押し戻されていた時に、後ろから腕をつかまれて強く引つ張られ、背広上着の左脇の下辺りを破られ、その後体を押されて腰から落ちるように倒され、三階法廷ドア付近でも、被告人らに立ちはだかられ、何回か押し戻されるなど、被告人らによつて法廷への出頭を妨げられた状況を具体的かつ詳細に証言し、同弁護士と同道したB及びHも、A弁護士の証言と合致する証言をしており、いずれも自己の体験した事実に関する自然かつ具体的詳細なものである上、重要部分において相互に合致し矛盾するところがないこと、A弁護士の証言は、実際に着用していた背広上着の左袖が約一二センチメートルにわたり縫い目がほころび破れていることや、東京地方裁判所八王子支部の守衛として執務中に一階ホールでの状況を目撃したI、同支部廷吏及び書記官として三階法廷で執務中に本件を目撃したJ及びKら中立的証人の各証言ともよく符合し裏付けられているのであつて、その信用性は高いと認められる。なるほど、関係証拠によれば、A弁護士は、左右をB及びHに、背後も学生服などを着用した三人のボディガードにガードされ、一団となつて前方のエレベーターに進もうとしたこと、その際被告人らの集団と押しつ戻りつしたことが認められ、また、I証人は、A弁護士が体当たりされたり、腕を引つ張られたり、腰から落ちるように倒されたというA弁護士が証言し原判決が認定するような被告人らの行為を目撃していないけれども、他方、同証人は、A弁護士が、一五、六人の者に取り囲まれて、洋服の上半身を後ろから引つ張られたり、ジャンパー姿の者に押されたりしたこと、同弁護士が「公判があるから、私は法廷へ出廷するんだ。時間がない。」などと繰り返し言つていたが、エレベーターに乗るのを阻止されていた旨述べており、全体としてみれば、被告人らの実力によつて入廷が妨げられたことを明確に証言しているのであつて、A弁護士の証言を裏付けるに十分であるというべきである。これに対し、被告人は、原審公判廷で、A弁護士らがスクラムを組んで動き回つたりしただけで、被告人らがA弁護士に直接手をかけるなどしてその出廷を実力で阻止したことはないと供述し、A法律事務所労働争議団の一員であるL証人もこれに沿う証言をするが、被告人及びL証人も、A弁護士が、腰から落ちるように倒れたことや、守衛室に入り、守衛に「裁判所は一体何をしているんだ。」などと大声で怒鳴つていたことを供述する上、原判決が認定説示するように、あらかじめ裁判所にした警備要請が期待できなかつたため、ボディガードを同行して出廷しようとしたA弁護士が、何らの妨害行為もないのに、腰から落ちるように倒れたり、エレベーターに乗れるのに乗ろうとしなかつたり、開廷時間が過ぎているのに法廷ドア前で入廷しようとしなかつたというのは余りにも不自然であることからすると、被告人の原審供述及びL証言は信用することができないというほかはない。
以上のとおり、原判示罪となるべき事実第二に関するA弁護士、B及びHの原審各証言は、I、J及びKらの中立的証人の各証言によつて裏付けられ、十分信用できるものであると認められ、これらの証言等により、原判示罪となるべき事実第二の事実を認定した原判決に、裁判所内での団体交渉要求すなわち威力業務妨害であるとの先入観に基づいた事実認定であるとの非難は当たらず、事実の誤認はないと認められる。所論は採用することができない。
論旨は理由がない。
第三 控訴趣意第三点(法令適用の誤りの主張)について
所論は、要するに、原判決は、A弁護士の被告人に対する解雇が正当なものであるか否かの判断を示していないが、これは被告人らの本件各行為の正当性判断についての重要な要素について判断を遺脱したものであり、本件解雇は解雇権を濫用したものであつて無効である、A法律事務所労働争議団(以下「本件争議団」という。)は、被告人の解雇撤回と原職復帰を目的として結成された団体であり、被告人の解雇につきA弁護士に対し団体交渉権を持つ、被告人ら本件争議団の本件各行動は、被告人の解雇の撤回を求めてA弁護士に団体交渉を要求する目的で行われたものであつて、目的において正当な行為であり、また、争議の経過、A弁護士の対応等からやむなく裁判所内で行われたが、A弁護士に団体交渉要求書を手渡そうとしただけのものであつて、行為の態様においても相当であり、いずれも刑法三五条の正当行為に該当し、違法性が阻却されるものであるのに、被告人を有罪とした原判決は、法令の解釈適用を誤つたものであつて、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
しかし、被告人の原判示罪となるべき事実第一及び第二の各行為が、所論のいう正当行為に該当するものでないことは、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の第一で認定説示するとおりであり、原判決の判断は正当として是認することができるから、原判決に法令適用の誤りがあるとは認められない。以下、所論にかんがみ、説明を付加する。
一 本件争議団の団体交渉権について
所論は、原判決は、本件争議団は、使用者たるべきA弁護士と雇用関係になく、また、将来基本的労働関係の生ずる可能性もない第三者が、もつぱら争議の一方当事者である被告人を支援する目的で集まつた集団にすぎないものであり、本件争議団自体もA弁護士との間で団体交渉により被告人の労働関係を律するべき対向関係にあるものとは認められず、したがつて、これらのものに団体交渉権を認める余地はない、としているが、団体交渉の主体については、単に労働組合のみならず、争議団のような、一時的団結や組織化の程度において労働組合に及ばない労働者集団であつても、労働者の団結体として団体交渉権の主体となり得るものであり、団体交渉権が憲法上労働者の人権として位置付けられている以上、対向関係の存否は実質的に判断されるべきであり、労働組合という狭い範囲に限定されるものではない、また、団体内に雇用関係を有する者が複数存在する必要はない、このことは、雇用する従業員が組合に所属することが明確である以上、合同労組がその所属組合員の労働条件等の問題についてその使用者との団体交渉権を有することからも明らかである、と主張する。
まず、関係証拠によると、原判決の認定するとおり、本件争議団は、被告人がA弁護士からの解雇通告を受けた後、解雇を不当とする被告人の呼掛けに応じてその友人らが集まり、当初はM及びNを代表者として、被告人の友人ら六名程で結成されたものであり、被告人の解雇の撤回、原職への復帰のみを目的として、これに賛同する者を集めて会員とし、決定は全会一致で行い、会費を集めるなどのことが定められ、その後地域の労働組合員らも会員として参加するようになつたが、その後参加した者を含めて、被告人を除いて、A弁護士と雇用関係を有した者は存在しないことが認められる。
ところで、団体交渉権は、労働組合その他の労働者の団体がその代表者を通じて使用者とその労働条件等について交渉をする権利であり、憲法及び法律は、労働者に団結する権利を保障し、その団体の活動を保護することを通して労働者の経済的地位の向上を図ろうとしているものであることからも、団体交渉権は、使用者と交渉して労働条件等を決定するに足る労働者の団体、すなわち使用者と対向関係にある労働者により構成される団体に付与されるべきものであつて、そのような関係の成立する余地のない者との間にまで団体交渉権が保障されるものでないことは明らかである。そうすると、前記のような本件争議団の結成の経過、目的、被告人以外にはA弁護士と雇用関係を有した者がいないこと等に照らすと、本件争議団が使用者であるA弁護士と対向関係にある労働者の団結体であるといえないことは明らかであり、被告人が本件争議団の有力な構成員であるか否かを問わず、本件争議団にA弁護士との団体交渉権がないことは明らかであつて、この点に関する原判決の判断は正当として是認することができる。所論は、前示のとおり、交渉を求める団体の構成員中に雇用関係を有する者が複数いることは必要でなく、このことは合同労組の団体交渉権について、雇用する労働者が労働組合に所属することが明確である以上、それが複数であるか否かは問題にならないことからも明らかである、と主張するが、本件争議団が合同労組と同視し得るものでないことは明らかであり、また、被告人自身が労働組合を結成したり、合同労組に加入したりした事実は認められないから、合同労組の団体交渉権を前提とする所論が前記結論に影響を及ぼすものではないことは明らかである(なお、所論は、原判決に被告人の解雇が正当かどうかについての判断の遺脱があるとするが、記録によると、原判決は、(犯行に至る経緯)において、「被告人の身だしなみや勤務態度等が法律事務所事務員のそれに相応しくないとして、A弁護士あるいは前任事務員らから再三注意を受けたのに、改めようとせず、そのため昭和五〇年九月ころA弁護士から退職を勧告された。」との事実を認定しており、また、(量刑の理由)でも、「被告人の解雇は、結局のところ、被告人が法律事務所事務員としての適格性に欠けていたことに起因するものとみられるのであるが、」と認定していることが認められ、本件解雇が正当であつたかどうかについて直截に判断を示していないことは所論のとおりであるとしても、右のとおりの判断を示していることからすれば、原判決が被告人の解雇につき必要な判断を示していることは明らかであり、原判決に判断の遺脱があるといえない。)。所論は採用することができない。
二 本件各行動の目的の正当性及び行為態様の相当性について
所論は、原判決は、被告人らの本件各行動は、団体交渉を要求すると称して、A弁護士に執拗な嫌がらせ的抗議行動を繰り返し、同弁護士の業務を妨害して自己の要求を押し通そうとしたものであり、その目的において到底正当性を有するとはいえないとし、また、行為の態様も正当な範囲を著しく逸脱しているとするが、被告人ら本件争議団は、解雇権を濫用した無効な解雇であるA弁護士による被告人の解雇を撤回させて、被告人を原職に復帰させるための団体交渉を要求して、本件各行動に及んだものであり、その目的は、団体交渉を要求するためであつて、正当であり、また、本件争議の経過、A弁護士の対応等からやむなく裁判所内で行われたが、本件各行動はA弁護士に団体交渉要求書を手渡そうとしただけのものであつて、行為の態様においても相当であつた、と主張する。
しかし、本件争議団にA弁護士に対する団体交渉権が認められないことは前示のとおりであり、被告人らの行為の目的がA弁護士に対し団体交渉を要求するということにあつたとしても、これが正当なものであつたといえないことは明らかであり、その他被告人ら本件争議団とA弁護士側との長期にわたる応接の全体を通じてみても、被告人らの本件各行為につき正当性を認め得るような事情は存在しないこと、また、本件各行為の相当性についても、その具体的状況は、A弁護士に対し、その身体に体当たりをし、大勢の者で取り囲み、ベルトや背広の上着をつかんで前進を阻むなどして、同弁護士の法廷への出頭を妨害したというものであつて、その結果、同弁護士は、原判示罪となるべき事実第一にあつては、一旦法廷と反対側の中廊下に避難させれられた上、警備員に守られて入廷することを余儀なくされ、出廷が約一〇分間遅れ、また、原判示罪となるべき事実第二にあつては、背広を破られ、腰から落ちるように倒され、あるいは守衛室に逃げ込むことを余儀なくされ、出廷が約一五分間遅れたものであり、A弁護士の出廷の遅れが一〇分ないし十数分と比較的短時間であつたにしても、このような被告人らの行為が法秩序全体の見地から許容されるものでなく、行為の態様が相当性を欠くものであることは明らかであるというべきことからすれば、被告人らの本件各行為が刑法三五条にいう正当行為に当たらないことは明らかである。所論は採用することができない。
論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡田良雄 裁判官 長島孝太郎 裁判官 毛利晴光)